ルールの下で競い合おう 木村レポートNo.4

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kimura3.jpg木村興治
日本卓球協会専務理事
2005年7月4日

私は日本卓球選手団の役員として、先月末からこの6日にかけて上海であった世界選手椎に参加した。出発前は、反日行動が燃え盛った直後の中国に 「日の丸をつけて行って大丈夫か」などと心配する声もあった。日本協会は一昨年、イラク情勢の緊迫化からカタールでの大会への派遣を取りやめている。協会内の危機管理 チームが話し合った末の判断だった。だが今回は、そうした心配はしなかった。

卓球を通しての日中のつながりは、きわめて深く、歴史もある。中国とは国交正常化以前の56年に東京で開かれた世界選手権に選手団が参加して以来のつきあいだ。 71年には、米中対立に風穴を開けたピンポン外交で、日本がきっかけの舞台を提供するなど一役買っている。

加えて、中国の卓球関係者は、国に重用されたかと思えば、 文化大革命では町中を引き回されて白殺者まで出るなど、その時々の政治状況にもまれながら、それでも卓球をするためにがんばってきた人たちなのだ。 私は、「大会は必ず成功する。万一、不安があれば相手側から必ず言ってくる。連絡が無いのは『安心して来なさい』というシグナルだ」と選手たちに話し、 現地では日の丸のついた上着で通すよう促した。

私は政治、宗教、社会体制などで相手と違いがあればあるほど、相互理解のために、スポーツのように一定のルールの 下で参加者が「勝ちたい」「いい競技をしたい」と心を一つにして競う、シンプルな「場」の存在が重要になると思っている。

われわれは手厚い歓迎を受けた。中国側は日本選手団に通訳を4人つけてくれた。過去の大会ではたいてい1人だから異例の厚遇といえる。宿舎のエレベーターホールに は護衛が立った。結局、大会は成功裏に終わった。最終日、中国の友人と町中に出て、点心の店に入った。日本語での会話は私たちだけだったが、他の客はチラッとこ ちらを見るぐらいで、険しい視線などは無かった。その友人は、上海の反日行動で石を投げていた人々について、「言葉のなまりから判断して、地方からの出稼ぎ者が ほとんどだったと思う」と話していた。

私はこれまで中国を三十数回訪れているが、年々、急成長している上海のような都会では、貧富の差が拡大しているように見える。今回、試合会場は、連日超満員でダフ屋 も出ていた。だが、最終日のチケットは日本円で1万円以上もした。普通の人の給料の半月分にもあたる額だ。そうした諸事情を背景に、先の反日行動は、そこで暮らす一部 の人々の心に何かわだかまっていたものに、あるタイミングで火がついた側面もあったように私は思う。

ともあれ、日中の間柄は、時にぎくしゃくしたからといって、大局的にみて重要なパートナー同士であることは間違いない。相手もがんばり、われわれもがんばるという関係で、 アジアの隣同士として世界になくてはならない位置を占めていくことが大切なのは、卓球に限ったことではないだろう。

この記事は、2005年5月21日朝日新聞 朝刊の視点欄に「日中摩擦」として掲載され、かつ、6月3日の The Asahi Shinbun にも 英文で記載されたものです。掲載にあたっては、朝日新聞社および木村氏の承諾を得ております。(文中の写真提供『卓球レポート』)

以上

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